2019年11月号

The Ledger

「我の中で歌いたまえ、女神よ。そして我をとおして物語を語りたまえ。あらゆる戦いに長けたあの男について。長きにわたり苦しみ続けた、あの放浪者の物語を」。ホメロスはしっかり理解していた。物語を巧みに、かつ、正確に語るには(この場合、ギリシャの英雄オデュッセウスの長編叙事詩のこと)、芸術家は器であるとともに音叉であらねばならないことを。今日、あらゆるところで「女神」という言葉が使われているのを耳にする。しかし「女神」と言っても、それぞれが特徴的な力を持つ力強い存在という古代のイメージからはほど遠い。もはや学芸を司る九人の神々を意味するわけではなく、有名ファッションデザイナーや人気ミュージシャンなど、世俗的な存在を示唆するようになった。それでは、神聖なひらめきが軽視されがちな現代において、この言葉が持つ意味をどのように再定義すればいいのだろうか?この過程では、必然的に「女神」を現実世界に引き下ろし、その世界全体から彼女らを探し出すことになる。いわゆる芸術的なひらめきとは多くの芸術家たちの間に存在し、また、分野、領域、文化、地理などに存在する数々の境界線を越えたところに生まれているのだ。現代の芸術では、一つの神聖な源からではなく、時に複合的で相反する関係からひらめきが生まれる。つまり、誰かが間テクスト性ともいうべき行為に至れば(誰かのアイディアに強く影響されたアイディアを用いること)、他の誰かの著作権や誠意を侵害してしまう可能性がある。恐らく、「女神」という概念は民主化されたのだろう。必ずしも芸術家ではないが、創造とひらめきに満ちた他人の作品からエネルギーや力を引き出す者に仕えるようになったのである。『フロイト モラリストの精神』はフィリップ・リーフが書いた本だが、本当の著者はスーザン・ソンタグかもしれない。また、自然や景観も建築家やプランナーを導くなんらかの役割を果たしている。フランスの印象派作品において鮮やかな変身を遂げた日本の浮世絵版画も実に見事だ。これらはまさに「女神」の力の成せる業と考えれば納得がいくかもしれない。そうすれば、この世界の不思議な力に思いを馳せつつも、人間らしく人の力を借りることも受け入れられるようになるだろう。

typeCode

 
支援

世界中の職人を歓迎する実り豊かなマーケット

先住民の文化は、グローバル資本主義が生み出す均質化という力によって、常に消滅の危機に晒されている。グローバル資本主義は人々の対立を生むことが多い。また、手工芸品を過小評価する傾向があるため、次世代への伝統的知識継承の妨げにもなっていることも多い。サンタフェの国際民族芸術市場(IFAM)は、精巧で温かみのある世界中の民芸品を称え、より多様な人々に購入の機会をもたらすことで、この流れを断ち切ろうとしている。参加者は手厚い支援と励ましを受けることができ、それにより収入の増加を見込むことができる。2,000人を超える熱心な職人のボランティアが一年を通じて発展途上国の職人に助言を行い、その努力の結晶は毎年7月に開催されるマーケットに集結する(次の開催は2020年7月10~ 12日だ)。60か国から総勢150人のアーティストが選ばれ、マーケットに参加する。彼らは地元の大きなコミュニティーを代表するアーティストたちだ。IFAMの推定によると、この代表者たちは、アーティストの組合員約2万6,000人とその家族や地域住民約25万人の経済的安定に大きく貢献しているという。毎年2万人以上の人々がIFAMを訪れ、300万ドル相当の商品を購入する。この売り上げと集められた寄付金はアーティストたちの母国で、橋、井戸、学校の建設に役立てられている。伝統工芸のセクターは発展途上国では2番目に大きな産業だ。IFAMの活動成果から、彼ら職人が強い社会変革をもたらす可能性があることがわかるだろう。同時に、ささやかなサポートであっても、職人たちの経済的自立に役立つことを示している。2019年、IFAMはキューバのメジャにあるアーティスト集団El Grupo Bayateに賞を授与した。パン職人、警察官、会計士、漁師などメンバーの顔触れは様々で、村の生活を鮮やかな色彩で写し取った絵画を描いている。もう一組の受賞者は、ハイチのクロワ・デ・ブーケ出身のSerge Jolimeauだ。彼が時にはスチールドラムから作り上げる伝統的な金属彫刻は驚くほどの複雑さを持つと同時に、まるで金銀線細工の透かし模様のように細やかに仕上げられている。

typeCode

 
訪問

芸術家そして旅人のために用意された、ケニアの美しい隠れ家

プーマ社の元CEOであり、ビジネスや開発に携わる非営利集団「The B Team」の共同創設者(もう1人がリチャード・ブランソン卿)でもあるヨッヘン・ツァイツは、現代美術と環境保全を支援している。彼は、移住先で活躍する者も含め、アフリカ大陸出身の芸術家が手掛けたさまざまな作品を多数所有しており、これらの作品は彼の存命中、ケープタウンにあるZeitz Museum of Contemporary Art Africaへ貸し出されている。こうした2つの関心事を体現したのがMOCAA Artist in Residence Programmeだ。ケニアのライキピア地域で実施されているこのプログラムは、招かれた芸術家が滞在しながら新しい作品に取り組むというもの。宿泊施設はアフリカ有数の非常に美しいサファリ地域セゲラにあり、東側にはケニア山、西側には大地溝帯が望める。サバンナの平原や滝、植物園などもあり、まるでインスピレーションの源泉のような場所だ。芸術家たちはアフリカ大陸のアイデンティティーや地形、歴史、講話などに関連する作品を手掛けている。周囲の広大な景色をただ眺めるだけでなく、作品づくりに没頭することができる。野生生物の科学者たちが相談にのってくれるほか、この地域の周辺コミュニティーや文化に関わる機会も、予め設定されたものから自発的なものまで多々ある。一方、セゲラに滞在するゲストは、食事会、スタジオ訪問、芸術家による講演や自然散策などを通じて、ハンク・ウィリス・トーマスやピーターソン・カムワチといった芸術家に出会う機会が得られる。2015年に参加した初めての芸術家であるカムワチは、MOCAA Artist in Residence Programmeは、「自国の国境内」で参加できた初の奨学基金プログラムだと話している。

 
映画

愛されし映画監督の集大成たる遺作

『アニエスによるヴァルダ』(2019年)は、フランス人映画監督アニエス・ヴァルダが自身のキャリアを振り返る、見事な自伝的ドキュメンタリーである。『ヤンコおじさん』から『顔たち、ところどころ』まで、彼女がこれまでに手掛けた20作品からのシーンやカットを収録している。生涯現役を貫いたヴァルダは、2019年3月に90歳でこの世を去った。遺作となった本作品は、フランスのオペラハウスでシネフィルに公開され、最高傑作の一つと称された。ヴァルダは鮮やかな紫色のブラウスに身を包み、彼女のトレードマークであるヘアスタイル-頭のてっぺんから10センチほどはグレイヘアで残りを赤紫色に染めたマッシュルームカット-で登壇した。客席の上部を見上げ、茶目っ気たっぷりにこう言い放った。「あの辺りが天井桟敷の人々かしらね」。映画に対する語り口は温かく魅力的で、どこかとらえどころのない雰囲気さえある。過去の作品について真面目に解説していたかと思えば、次の瞬間には突拍子もないことを茶目っ気たっぷりに口にする。ヴァルダのキャリアは、フランスのヌーヴェルヴァーグの名作『5時から7時までのクレオ』(1962年)から始まった。その後は、それほど有名ではないものの多くの印象的な作品を世に送り出した。1985年の『冬の旅』は、その代表作である。ジョアンナ・ブルズドヴィチュが手掛けた音楽に乗せて、主人公の内面に迫る、ほんのわずかな心の揺らぎまでをも捉えたシーンが13箇所のトラッキングショットにより展開していく。メイキング映像でアニエスは、サンドリーヌ・ボネール演じる主人公の孤独で重たい足取りと同じ速さでカメラを右から左へ移動させたのは、見る者を困惑させるためだったと明らかにしている(ヴァルダはこれを「心理的な不快感」と表現する。「西洋の文字を読む方向と逆だから、見ている人は違和感を覚えるの」とのこと)。ヴァルダはこうも言う。「自分ではどうにもできない怒りに駆られた少女の物語を撮ったの。もって行き場のない怒りを抱えた孤独な少女のね。路上生活をする少年はたくさんいたわ。一種の流行のようなものだった。でも、同じような少女もいたの。私が撮りたかったのは、自由と堕落よ」。ボネールは、モーリス・ピアラ監督の『愛の記念に』にも出演している。ヴァルダはまだ17歳だった彼女をキャスティングした。ヴァルダは嬉々として「なんとサンドリーヌが来てくれました」とボネールの到着を知らせた。雨が降りしきる中、撮影現場となった原野の真ん中で、ヴァルダとボネール(今や彼女も50代である)は、1枚の黄色いひざ掛けを2人で使い、傘をさして座る。ボネールは、主人公の生い立ちについての説明がなかったこと、火の起こし方やテントの張り方、靴の修理の仕方、ブドウの摘み方を習ったことなどを振り返る。当時の彼女はよく分かっていなかったが、精神的に鍛えられたと言う。「畑の一区画全部を掘り返したせいで、手にまめができたことを覚えています。私はアニエスにこう言いました。『本当のまめよ。あなたが望んでいたようなね!』って」。ヴァルダは、『アニエスの浜辺』(2008年)の着想を得た浜辺も訪ねている。年齢を重ねることによって得られるものに、優しく思いを馳せる作品だ。舞台となった浜辺は、側転をしたり鳥の鳴き真似をしたりする子どもたちで溢れていた。ヴァルダは頑丈なディレクターズチェアに深く腰掛けて日向ぼっこをしながら、楽しそうな光景を眺める。コメディ映画の『百一夜』(1995年)では、ロバート・デ・ニーロをカトリーヌ・ドヌーヴの相手役として起用した。ヴァルダが感銘を受けたのは、デ・ニーロがフランス語のセリフを声楽的にマスターしたこと、4時に起床してセットで1人のシーンを撮影したこと、池に飛び込むことも厭わなかったことだ。映画自体はヒットせず、ヴァルダもそれを認めている。しかしこの失敗を潔く受け入れた彼女を人々は称えた。ヴァルダの自己探求は一人でじっと考え事をして終わるものではない。それは常に小柄な彼女自身を超えて、より広い世界と結びついている。ヴァルダは聴衆にこう語る。「自分以外のいろんな物事が私の興味を掻き立てるの」。『アニエスによるヴァルダ』で描かれているのは溢れ出る生きる歓びだ。伝説的なおしゃべりだったヴェルダが、遺作で遺言ともなる言葉を残したのはとても彼女らしい。独自の世界観でインスピレーショを与える彼女の姿を、この映画は映しだしている。

 
鑑賞

5世紀にわたる創造的交流

大英博物館にて2020年1月26日まで、「Inspired by the East: How the Islamic world influenced Western art」が開催されている。マレーシア・イスラム美術館との協力により実現した同展では、幅広い作品が展示されており(マレーシア・イスラム美術館では、2020年6月20日から10月20日まで開催予定)、年代順に展示された作品を見ると、500年にわたる芸術的交流が伺える。しめくくりとなる現代の展示では、トルコの映像作家Inci Eviner、モロッコの画家兼写真家のララ・エッサイディなど、中東と北アフリカを代表する4人の女性現代アーティストの作品が並ぶ。エッサイディの三部作「Les Femmes du Maroc(モロッコの女たち)」は、豊かな色彩と艶めかしい女性を描いたウジェーヌ・ドラクロワの「アルジェの女たち」に着想を得たものだ。ただその印象は、19世紀のオリエンタリストが描いたハーレムの絵画とはまったく異なる。エッサイディの作品では、衣服を身にまとった女たちがモノクロのくすんだ色彩で描かれ、キャンバスにはアラビア文字が印されている。ドラクロワの絵画を思わせつつも、エッサイディが新たに生み出した、独立した見事な作品に仕上がっている(その強烈なメッセージを感じ取るのに、ドラクロワの作品に触発されたことを知る必要はない)。こうした展示は必ずと言っていいほど、エドワード・サイードの主著『オリエンタリズム(1978年)』による影響が強く感じられるものだ。パレスチナ系アメリカ人の学者であるサイードは、同書で主に文学や政治学に焦点を当てることで西洋における東洋の描写を批判した。一方、大英博物館のキュレーターたちがこの展覧会で光を当てようとしたのは、作品内の、あるいは作品同士が見せる西洋と東洋の相関性だ。作品に描かれた虚偽の事実を明らかにするとともに、外交、休暇旅行、武力抗争などの多様な影響により東西が互いに敬意を持って交流した歴史への関心もうかがえる展示内容になっている。同展では絵画だけではなく、装飾芸術、インテリアデザイン、ガラス製品や陶磁器、衣服、織物、宝飾、写真などを幅広く展示することで、それらの創造性の高さと影響力の多様さを示している。例えば、イギリス人デザイナーのウィリアム・ド・モーガンによる花をモチーフとしたタイルは、17世紀のイズニク陶器を緻密になぞったものだ。その他、かつて聖地を訪れた西洋の巡礼者が残した骨董品から、19世紀の西洋人アーティストが制作したトルコ陶器やイラン陶器まで、数多くの作品が並んでおり、一度訪れるだけでは物足りなさを感じるほど、深みのある展示になっている。

 
聴く

Lost on the River: The New Basement Tapes』に収められた、新解釈の楽曲たち

ボブ・ディランは1966年までに名作と言われる3枚のアルバムを発表した。ニューポートフォークフェスティバルではアコースティックギターからエレクトリックギターに持ち替えて演奏し、全米やヨーロッパ各地でツアーを行った。その年の7月、ディランはバイク事故で瀕死の重傷を負い、数か月もの間、ニューヨーク州ウェストソーガティーズにある自宅の地下室で療養生活を送った。療養しながらも、音楽仲間のリック・ダンコやリヴォン・ヘルム、ガース・ハドソン、リチャード・マニュエル、ロビー・ロバートソンと一緒に、名曲のカバー、ユーモアのある流行歌、即興曲、『I Shall Be Released』や『The Mighty Quinn』などの傑作といわれる数十曲の制作と、これらのレコーディングを行った。こうしたレコーディングのうわさをきっかけに、音楽業界に「ブートレグ」という新たな領域が誕生する。当時の曲をファンが少しずつ発掘したことで、1975年になってやっとコロムビアレコードから16曲のみがリリースされた。それが、『The Basement Tapes』である。1966年のセッションのときに書かれた未発表の歌詞を基に、2014年、複数のミュージシャンによる新たなプロジェクトが立ち上がった。彼らはディランの歌詞に合わせて曲を書き、彼の承諾を得て『Lost on the River: The New Basement Tapes』を制作した。ディランの長年の協力者であるT・ボーン・バーネットが制作指揮をとった同アルバムは、1曲目から聴く者を夢中にさせる。エルビス・コステロ、リアノン・ギデンズ(キャロライナ・チョコレート・ドロップス)、テイラー・ゴールドスミス(ドーズ)、ジム・ジェームズ(マイ・モーニング・ジャケット)、マーカス・マムフォード(マムフォード&サンズ)といった豪華ミュージシャンも参加している。バーネットはこう振り返る。「(レコーディングに費やしたこの)2週間の体験は参加者全員にとってかけがえのないものとなった。どんなときにもスタジオには寛大な心とサポートの精神が浸透していた。何よりも、歌詞を共有するときにボブが示してくれた信頼と広い心にそれが表れていたと思う」。ギデンズの『Spanish Mary』やジェームズの『Down on the Bottom』など、名曲ぞろいの一枚だ。

 
読書

恋愛関係と芸術の微妙な境界線

ロバート・ローウェルはその印象的な詩風はもちろん、複雑な私生活でも記憶に残る詩人だ。躁うつ病に陥り、常に込み入った恋愛関係の渦中にあった。彼を夢中にさせた女性たちの大半(たとえば、ジャン・スタッフォード、エリザベス・ハードウィック、エリザベス・ビショップ、レディ・キャロライン・ブラックウッドなど)はローウェルと同等の知識人だった。エリザベス・ハードウィックは1985年の パリス・レビュー』によるインタビューで思い切った発言をしている。「『キャル』(全寮制の学生時代につけられたローウェルのニックネーム)は女性作家が好きでした。作家以外の女性には関心を持ったことがないと思います。実に変わった趣向ですよね。だって女性作家には、『あなた、それは素敵ね』と夫におもねる従順な恋人や妻になる傾向は見られませんから」。二人の23年間の結婚生活はまさに嵐だった。ローウェルは精神病院への入退院を20回ほど繰り返し、社会秩序を乱す行動を起こすなど落ち着くことがなかった。その婚姻関係は、ローウェルがハードウィックを捨ててレディ・キャロライン・ブラックウッドの元へ走ったことで終わりを告げる。その件についてハードウェルが書いた手紙の文言や内容をローウェルが一部脚色し、『ドルフィン』(1973年)-ピューリッツァー賞を受賞-にて無断発表してしまったのだ。これが状況をさらに悪化させ、親しい友人でもあった2人の詩人、エリザベス・ビショップやアドリエンヌ・リッチとのトラブルにも発展した。ローウェルはビショップに、『ドルフィン』に掲載する予定の詩の一部を送ったが、これに対してビショップは、ハードウィックの言葉を使うのはやりすぎだと返している。ビショップはローウェルへこう伝えた。「人の人生を題材にするのは構わないし、実際にそうしている人もいる。だけど、この手紙を使うとは……。信頼を裏切っているのでは?例えば許可をもらっているのであれば、また一切手を加えないのであれば、といった考え方もあるでしょう。でも、芸術のためにそこまでする価値はありません」。彼女の言葉は通じ、ローウェルはハードウィックを擁護するため、いくつかの修正を加えた。ただし不思議なことに、ハードウィックのものとされた文章のうちいくつかは、ローウェルによる完全な創作であることが判明している。ハードウィックの言葉を引用する代わりに、彼女が手紙を書いている姿を思い浮かべながら創造したのだ。「人はスーツケースのごとく才能を持ち歩くことはできない/自分の人生で受け止めきれない愛を郵便で送ってくるなんて/自分のしたことがわかっているのかしら」。そして、ローウェルとハードウィックのやり取りとは趣きが違うが、同じく魅力的な手紙がローウェルとビショップの間でも交わされていた。その手紙が納められた『Words in Air』(2008年)は実に遊び心があり、二人の知識の豊かさと愛が伝わる作品だ。ビショップとローウェルのお互いに対するプラトニックな愛、同時代の詩人(マリアン・ムーアやジョン・ベリーマン)や過去の偉大な詩人(ジェラード・マンリ・ホプキンスやエミリー・ディキンソン)に対する不変の精神的愛など、さまざまな愛に満ちている。



イラスト:Audrey Helen Weber

‘To me the Muses truly gave / An envied and a happy lot… ’

Sappho