Illustration by Audrey Helen Weber

2019年1月号

THE LEDGER

古代ローマの神ヤヌス(2つの顔を持ち、入り口や扉、年の変わり目を司る。その名前は守護神を務める1月に由来)のように、私たちは毎年1月になると過去と未来のどちらにも目を向けながら、今まで以上に手際よく物事をこなし、気分よく、そしてより良い人になろうと試みる。西洋暦の正月も終わり、己亥の年を迎える旧正月を目前に控え、亥年だけでなくその他の干支の運勢をも告げるかのようだ。 多くの人が最も良い形で1年のスタートを切ろうと思いを巡らせる。ただ、いつものように内面を見つめるだけではなく、知らないところへも出かけてみてほしい。外での新しい発見という楽しみ(物理学者のリチャード・ファインマンが言うところの「ものごとをつきとめることの楽しみ」)を通じて気持ちを切り替えてみるのもよいかもしれない。そういったものをいくつか挙げてみよう。いくつかは、自ら足を運んで体験しなければならないものもある。ストックホルムのヴァルデマーシュッデに置かれているオーギュスト・ロダンやアントワーヌ・ブールデル、カール・ミレスによる古典彫刻もあれば、ヨークシャーの田舎で目にするアイ・ウェイウェイやジュゼッペ・ペノーネ、キムスージャ、アルフレド・ジャーによる現代彫刻。あるいは、マレーシアのキャメロン・ハイランドに響き渡る、驚くような鳥のさえずりもある。一方で、より深い考察へと誘われる発見もある。ヴィトールド・リブチンスキーは、椅子に座った姿勢、座り方で家での生活ぶりが分かることなどを、愛情を込めて民族誌にまとめた。この民族誌は静かなる物事への叙情詩とも言える。家の近くか遠くかに関わらず、画期的な新しい取り組みと出会うには、安定した状態やこれまでと同じ環境から離れてをみるとよいだろう。日本人の作曲家、高田みどりが20年ぶりにわずか20分の曲『Le Renard Bleu』を発表した。手始めとして聴く者の心を揺さぶるこの曲を聴いてみてはどうだろうか。

Illustration by Audrey Helen Weber

 
滞在する

人里離れた美しい森の宿でくつろぐ

マレーシアのキャメロン・ハイランドの地名は、英国人探検家ウィリアム・キャメロンの名前に由来する。1885年、この地に足を踏み入れた彼は、やがて英国に戻るが、この奥深い緑の山並みと温暖な気候を愛してやまなかった。多くの観光客が魅了されるのが、紅茶畑の光景だ。今なお残る英国植民地時代の面影も人気のひとつである(実際、新しく建設されるホテルの外観にはチューダー様式の装飾が施され、レストランのメニューに必ずと言っていいほどスコーンとビーフ・ウェリントンがある)。どこか気取った骨董品(苺の形をした土産物など)や現地の混雑ぶりまでよく知られている。苔の森(Mossy Forest)は、自然に囲まれた木製遊歩道で人気が高いが、今では花をこっそりへし折るマナーの悪い旅行者のせいで、泥の森(Muddy Forest)とも呼ばれている。しかし、さらに奥に進むと、これぞキャメロン・ハイランドの魅力と言える手つかずの自然が残っている。そこからテラ・ファーム・ツリーハウスまではもうすぐ。心地よいまでに素朴で、自然に優しい宿があなたを待っている。宿へ行くには、オフロード車が必要だ。轍が残る狭い山道を4キロメートルほど進むと、宿の敷地が見えてくる。さらに急な坂を上がると到着だ(宿のウェブサイトでは、宿泊者にキャスター付きの鞄ではなく、軽めのバックパックを勧めている)。電気は一日中使えるが、夜用の懐中電灯があると便利で、タオルと洗面用具も持参するといい。コットンの布団、蚊帳、生き物の歌声や、自然の息づく音が心地よい睡眠へといざなう。食事は、一日三回で、施設内の畑でとれた美味しくオーガニックな食材を使ったものが供される。自然にあふれた宿周辺の道を歩いて、小川のせせらぎや滝の音に耳を傾け、さまざまな木が生い茂る森を散策してもいいし、高原の宿で小鳥のさえずりを聞きながらリラックスするのもいい。

Illustration by Audrey Helen Weber

 
発見する

古来からの伝統を反映した、重みのある現代の陶器

韓国の陶芸家イ・カンヒョ は、2つの伝統的な製陶技術を持つ、現代初の職人として名を馳せている。その技術とは、大きくシンプルで丈夫な甕器(オンギ)焼きと、白い泥漿と濃い酸化物で複雑な模様のコントラストが浮かび上がる粉青沙器(プンチョンサギ)焼きである。ミニマルなデザインと大胆な釉薬使いは、ときにジャクソン・ポロックの作品を思い起こさせる。甕器は紀元前5000年から、キムチや醤油、マッコリといった食材を発酵させたり、保存するために使われてきたが、電気冷蔵庫の誕生により1970年代頃には使われなくなってしまった。しかし、カンヒョは陶芸を専門にした学生時代、甕器ならではの大きさに魅了されて、ある職人に弟子入りした。3年かけて習得したのは、赤茶色の巨大な土の塊を伸ばし蛇状にして肩にかけバランスをとりつつ、ゆっくり回るろくろと木べらを使いながら大きな壺の縁に巻き付けていく技術である。現在のカンヒョの作品は、きめが粗く暗い色の土器を白い泥漿で覆い、装飾を彫り込んでいくものが主流だ。描かれる模様は花、葉、魚、木々や山、野原や空など幅広い。彼の壺は、淡い色(乳白色、グレー、ベージュ)と鮮明な色(コーラルに近いピンク、錆のようなレッド、濃いブラウン)の両方を使った、多彩な色使いが巧妙に施されている。カンヒョは、同じく陶芸家である妻とスタジオを経営している。古い甕器を眺めながら、彼はこう語る。「この圧倒的な存在感と重量が好きです。ただの大きな壺として見たことなど、一度たりともありません。私にとっては立派な彫刻作品なのです」

 
参加する

見直すべき埋もれた芸術家の重要性

ストックホルムのヴァルデマーシュッデ は優雅なミュージアムである。もともとは、画家であり、芸術家のパトロンでもあったネルケ公爵エウシェン王子(1865年~1947年)の住まいとして使われていた建物だ。フェルディナンド・ボーベリが設計した城のような本館、18世紀後半に建てられたマナーハウスと亜麻仁油の圧搾用ミル、1913年に追加されたギャラリーで構成されている。ここで1月27日まで、初期表現主義のパイオニアであるパウラ・モーダーゾーン=ベッカー (1876年~1907年)と、彼女の仲間たちの作品のみを取り上げた展示会が開催されている。彼らは、ドイツのブレーメン郊外にある有名な芸術家村、ヴォルプスヴェーデで共に過ごしていた時期がある。モーダーゾーン=ベッカーは1887年、フリッツ・マッケンゼンに師事するためにヴォルプスヴェーデを初めて訪れ、翌年、この小さな村へ移り、永住を決めた。1899年の個展が失敗に終わると、ほぼ部屋にこもりきりになり、作品作りに打ち込むようになった。ヴァン・ゴッホやゴーギャンの影響を強く受け、シンプルな美しさをキャンバスに描いたが、これらの作品は生涯、陽の目を見ることはなかった。そんな彼女が属したコミュニティーには多くの画家がいた。オットー・モーダーゾーン、ハインリヒ・フォーゲラー、オティーリエ・レイレンデル、ハンス・アム・エンデ、フリッツ・オーヴァーベック、ヘルミーネ・オーヴァーベック=ローテ、マッケンゼンなどだ。詩人のライナー・マリア・リルケと結婚した彫刻家のクララ・ヴェストホフもいた(リルケ自身は一時的にヴォルプスヴェーデを活動拠点としていたが、パリへ移り、のちにスウェーデン南部のボルグビー城に拠点を移している)。ヴォルプスヴェーデの開放的な野原、カバノキのあずまや、澄んだ小川、明るい太陽などに魅了されたモーダーゾーン=ベッカーと仲間たちは、この地域に住む人々のほか、物語や神話などのシーンを風景画や肖像画として多数残した。ヴァルデマーシュッデの展示会では、この大集団の絵画、スケッチ、版画など60点が展示されている。すぐにもヴォルプスヴェーデを訪ねたくなったかもしれないが、さらに近隣にも素晴らしい場所がある。ヴァルデマーシュッデを訪れた際に、その敷地と緑地庭園を散策すれば、古いオークの木々や優雅な庭園、ストックホルムの港のすばらしい眺望が楽しめる。彫刻の公園には、オーギュスト・ロダンやアントワーヌ・ブールデル、カール・ミレスの作品のほかにも、ルーヴル美術館に展示されていた『サモトラケのニケ』のレプリカなどが置かれている。

 
読む

学識に裏付けられた作品によって浮かび上がる困難な問題の真実

Horne Prizeは、優れた長文記事で有名なオーストラリアの週刊紙『The Saturday Paper』との協力により、年1回発表される賞である。この賞は、故ドナルド・ホーン(人々の尊敬を集める知識人のひとりで、実際に住んでいる国ではなく住みたい国のために文章をいつも寄稿していた)の大胆さを称えて設立された賞であり、現代オーストラリアの生活に光を投じるエッセイを対象としている。2018年12月、メルボルンに住むヨルタヨルタ先住民のライター、ダニエル・ジェイムズによるエッセイ『Ten More Days』 が受賞作に選ばれた。彼はこの作品を通して、先住民の家庭と地域社会の中に存在する世代間のトラウマを独自の視点で伝えている。ジェイムズは父親や祖父が経験した人種差別について触れ、いまだに人種差別がなくならないことを嘆くとともに、未来に目を転じて次のように書いている。「先住民族の存在意義は常に変化しています。私が直面している問題は先祖たちが悩んだ問題とは別のものです。一方で、オーストラリアの変化は緩く、我々の変化のスピードにはついていっていません。なんとしてもオーストラリアに必要なこの変化を促すには、継続的なリーダーシップと先住民に関する全国民の共感が不可欠です」。ジェイムズは品位と気高さを保ちながら自分の体験をストーリーに織り込み、読者の関心を引き付けているが、どこまでが私的な回想部分なのかあまり踏み込まないでほしいと呼びかけている。

 
映画

不思議な魅力と恐怖に満ちた、民族に伝わる物語と真実

ドキュメンタリー映像作家カトゥヤ・ガウリロフは、ラップランド(スカンジナビア半島北部)出身の先住民族スコルト・サーミ人である。彼女の作品『Kaisa's Enchanted Forest 』(Kuun metsän Kaisa;2016年)は、忘却の彼方に消えつつある民族の文化を映し、貴重な記録に光をあてた作品である。同作で、ガウリロフは自身の曾祖母から継承してきたエピソードの数々を描いている。タイトルは曾祖母のカイサとスイス人作家ロベール・クロットエに由来する。クロットエは、1930年代後半にスコルト・サーミ族と生活をともにし、彼らの言い伝えについて本を数冊出版した。クロットエの作品集『The Enchanted Forest』は、カイサから聞いた民話の数々をまとめたものだ。クロットエがスコルト・サーミの文化に惹きつけられたのは、神の思し召しと言ってもいいだろう。彼が結核で床に伏していたとき、熱に浮かされ見た夢に「ラップランドの民族」たちの姿が現れたのだとういう。彼らを探すため、若き劇作家だったクロットエはフィンランドの村スウェンチェルへ向かう。「永遠への入り口」とクロットエが呼ぶその村は、スコルト・サーミ族の冬の定住地で、そこに住む30もの家族に彼は温かく迎えられ、とりわけカイサと親しくなった。2人はロシア語で会話することができた。クロットエはロシア生まれで、カイサは修道院で使用人として働いていたときに、ロシア語を学んだからだ。やがてクロットエは、もはやほんの少数しか話すことのできないカイサの母語を学び始めた。スコルト・サーミに伝わる物語をより深く理解するためだ。それらの伝説は暴力に満ちている。ガウリロフはその一つ、オーロラの伝説に焦点を当て、カイサを語り手とし、ヴェロニカ・ベセディナのイラストで表現した。禁じられた森、神秘的な樹木、殺人、カニバリズムが、白黒の映像と揺らめくような淡い色の光で生き生きと描かれている。(色については全編を通じてたびたび言及され、かつ詩的な役割を果たしている。例えば、クロットエがカイサに、なぜ1頭の雌羊の首をブルーに塗ったのかと尋ねる場面がある。彼女は「いちばん好きな色がブルーだから」と答えている。)この映画ではさらに、スコルト・サーミが現実に体験してきた歴史的変遷と逆境、特に第二次世界大戦による強制移住についても、彼らの伝承ともに明らかになる。今日、スコルト・サーミの人口は数百人で、そのほとんどは民族独自の言葉をもう話さない。スウェンチェルにあるスコルト・サーミのコミュニティについて17、18世紀から記録している資料は、2015年にユネスコ「世界の記憶」に追加認定された。

 
聴く

アヴァンギャルドを愛する音楽ファン待望の新アルバム

めったに見ることのできない、美しい青ギツネ。それは小型で用心深いイヌ科の動物ホッキョクギツネのなかで、わずか1%程度しか存在しない遺伝子変異したものだという。日本に古くから伝わる教えによると、キツネは神の使いであるらしい。日本人作曲家の高田みどりは先ごろ、この伝説にちなんだタイトルの新アルバムをリリースした。20年近い沈黙を破って世に出たアルバムは『Le Renard Bleu』。高田が1983年に発表した『鏡の向こう側』は、4曲のみ収録の限定盤アルバムだった。どの曲も不穏な空気をまとった幾重にも音が重なった幻想曲で、マリンバ、ハーモニウム(オルガン)、コカコーラのボトル、カウベルといった楽器が使用されており、一部のカルトファンから熱狂的支持を得た。高田は『Le Renard Bleu』で、ロンドンをベースに活動する実験的ポップアーティストのラファンダと、アートディレクターのローラ・ラバン・オリヴァ&JR・エティアンによるクリエイティブユニットのパーテル・オリヴァと組んだ他、短編映像も制作した。(ラファンダのサウンドトラックをランウェイに起用したKENZOが、この短編をプロデュースおよび配信している。)アルバムに含まれるのはタイトル曲のみ。鈴の音で始まると、やがてラファンダが歌い出す。時折アニタ・ベイカーを思わせる声で命を下す。「キツネよ、私に歌え。どうやって相手の心を読んだのか」。約20分にわたり彼女の歌声とともに、ハンドベル、アンティークシンバル、明珍火箸の風鈴、ドラム、マリンバといった楽器の豊かな音色が奏でられる。最後に、ほとばしるように鳴り響く鈴の音で曲が終わる。ユニークで予測不能で独創的な音楽体験だ。『鏡の向こう側』に匹敵する素晴らしい作品である。

 
訪ねる

ブロンテ姉妹のお気に入りの場所だったことだろう 

高原の散策と現代美術の鑑賞の両方を楽しみたいなら、ヨークシャー・スカルプチャー・パーク がうってつけだ。ブレトン家の地所跡に広がる公園には、屋内ギャラリーはもちろん、いくつもの草原、丘、森、湖、庭園が500エーカーもの土地に広がっている。1720年、ウィリアム・ウエントワース伯爵が、後のブレトン・ホールとなるパラディオ様式の邸宅を建設した。息子のトーマス・ウエントワース伯爵は、ディアーン川をダムでせき止め、敷地内に湖をいくつか造り、花火を打ち上げたり模型の軍艦を戦わせたりして客人をここでもてなした。19世紀初頭には、トーマスの非嫡出の娘、ダイアナ・ボーモントによって、さらに大きくなった邸宅内に、数多くのガラスの建築物と芸術学校が建てられた。1948年、その私有地の多くが売却され、芸術、音楽、演劇の教育者のための専門学校、ブレトン・ホール・カレッジが誕生。この学校はやがてリーズ大学に統合されることになる。1977年に、彫像が教育課程に入り一般にも開放されて、このヨークシャーの田舎町で芸術家の立派な作品を鑑賞することができるようになった。2007年に閉校となったブレトン・ホール・カレッジに替わって、500エーカーの土地を管理するようになったのがヨークシャー・スカルプチャー・パークである(大学の建物は、豪華なホテルに生まれ変わる予定)。2019年に展示が予定されている作品を紹介しよう。まずはアイ・ウェイウェイ作の『Circle of Animals / Zodiac Heads』(2010)。これは2011年に始まったワールドツアーで展示されている作品で、12匹の動物の総称、十二支のブロンズ製の頭が展示される。またジュゼッペ・ペノーネは、モミの木の幹を二等分した木製彫刻『Matrice』」と三面の壁に描かれた絵画『Propagazione』を手掛けた。両作品とも公園ギャラリーに置かれている。同じくペノーネの9つのブロンズ彫刻は野外スペースで鑑賞できる。キムスージャの『To Breathe』は、チャペルの床を催眠的な鏡アートで飾る。チリ出身のアーティスト、アルフレッド・ジャーは、『The Garden of Good and Evil』で、CIAの秘密軍事施設を想起させる鋼鉄の独房を庭園周辺の森のくぼみのあちこちに配置する。『Criminal Ornamentation』は、大英帝国勲章受賞者のインカ・ショニバレがキュレーター役を務める展示物で、ボイル・ファミリー、スーザン・ダージェス、ミレナ・ドラギセヴィック、ローラ・フォード、エド・リップスキー、アレキサンダー・マックイーン、ジョー・フレッチャー・オル、リス・ローデス、ブリジッド・ライリ、カラギ・チューリング、ティモラス ビースティ、ベドウィル・ウィリアムズなどの作品が含まれる。

 
パリス・レビュー

椅子と座るという行為について、その興味深い歴史をのぞいてみる 

ヴィトールド・リブチンスキーは「座るということ、それは昔から厄介な課題である」と、『パリス・レビュー・デイリー』 に寄せたエッセイで興味深く語っている。いま流行りの立ち机を使う場合は別として、我々の多くが目覚めている間はほとんど座った姿勢で過ごしている。このエッセイは、デヴィッド・リーン監督の映画『アラビアのロレンス』のある場面から始まる。T・E・ロレンスと彼の上司のブライトン大佐が砂漠の野営テントにファイサル王子を訪ねる場面だ。王室のテントの中で、アラビアの男たちが床に敷かれたカーペットに座っている。アラビアの遊牧民族たちが完全にくつろいでいる横で、カーペットに座るブライトンは極めてぎこちなく見える。ロレンスはブライトンよりはややリラックスしているようだ。このシーンから、リブチンスキーは、世界には座るという行為に様々な作法があり、時にぎこちなさを生むということを考察している。人類が一般的によく取る100の座位姿勢を明らかにした人類学者ゴードン・W・ヒューズの研究にも触れる。東南アジア、アフリカ、ラテンアメリカの人々は、脚を組んで座るか、深くしゃがんで座る傾向がある。メラネシア人や米国南西部のアメリカ先住民族の多くは、両足を前に伸ばして座る。なぜ、高さのある椅子というものを使うようになったのか、リプチンスキは熟考する。床が冷たかったり湿気があったりするせいで椅子に座るようになったという考え方もあるが、日本人や韓国人は、昔から寒い冬でも床のマットに座る生活をしているし、折りたためる椅子を最初に使用したのは暑くて乾燥している古代エジプトではないか。遊牧民のモンゴル人は、折りたたみ式の家具を使用するが、同じ遊牧民でもベドウィン民族は使用しない。床に座る人々は、家に入る前に靴を脱ぎ、家の中ではゆったりした洋服を着るのが通常だが、椅子やソファに座る習慣が根付いている文化では、家についてさほど頻繁に語ることはない。オーストリア出身の建築家バーナード・ルドフスキーは、その著書『建築家なしの建築』で議論を呼んでいるが、彼は椅子が嫌いである。曰く「感受性の強い人ほど、椅子に座ることがいかにばかげたことかを知っている。まるで4本の爪楊枝で留められ縛り付けられているみたいではないか。あるいは、牡蠣よろしく、特大の二枚貝の片側にだらんと寄りかかっているようなものではないか」。椅子に座っている間、我々は静止していると思っているが、実際は、体は常にバランスを取ろうとしている。英国人心理学者ポール・ブラントンによると、人間は椅子に寄りかかって動こうとしないやせ衰えた動物とも言えるが、常に動こうとする生きた生命体でもある。だからこそ、ロッキングチェアに座ると心地よく感じるのではないだろうか。ロッキングチェアの揺れは、常に体を動かそうとする人間の性向そのものだからである。

 

 

イラスト: Audrey Helen Weber

‘No one ever regarded the First of January with indifference.’

Charles Lamb